私は理系畑出身なので、基本的に通常読む論文は工学、理学系に偏っている.
ただもし自分が理系じゃなかったらやってみたかった研究がやはりいくらかある.
その一つが「笑い」の研究.
昔からあまり自分は笑うのも他人を笑かすのも得意ではなくて、そこに大きなコンプレックスがあったことを感じていた.ユーモアのある笑いとされるものも理解はできても正直笑えなかったりしたし、面白くて共有したもものが全くうけないというのがよくあったためだ.
真面目になぜこの人たちはこのネタを面白いと感じるのだろうとかなぜこのネタを自分が面白いと認識するのだろうその要素、要因はなんなんだろうというのは中学生ぐらいから気になっていた.ネタの面白さの説明がつかないものがもどかしくてしょうがなかった.芸人がやっているネタを自分がやったときに面白くなるのかすごく疑問だった.もし面白くならないならネタが面白いのではなく、本人の設定を含んで笑っているのか、いわゆる「間」がうまいのか、表情なのか、しぐさなのか…考えれば考えるほどわからなくなっていた.会話しているときにも疑問は湧いてしまう.会話中に特にやはり強く疑問が生ずるのは相手が笑っているけどちっとも面白さを感じないときだ.笑って楽しそうにしている友人に水をさせないタイプの人間なので、内心「何笑ってんだこいつ」って思いながらいつも通り、大げさに口を開けて手を叩きながら笑っている.いつも大げさに笑っているおかげで内心みじんも笑っていないことがバレていないと信じたい…本当にわからない人は「Urusuってゲラだな」と言ってくる輩もいて、日々の努力が功をなしていることに満足しながら、そんなことないだろーって適当に返していた懐かしい思い出.
こういうことが気になるのは当然な話だと思っている.中学生とか他の人のことが気になる年頃である以上、他人のリアクションに大きく影響する笑いは生活でも大きな要素だ.とりわけ人間面白い奴と面白くない奴という評価をまず行うことが多いため、強い意識を持ちやすい.
研究というのは興味のあることを究めるべきとよく言われている(気がする)けれど、そういう点で私は「笑い」を研究すればよかったなと思う.まだ社会人で諦める必要もないのだろうけど.暇があったらいずれ分析してみたい(おそらくしない奴(そして総じてこのカッコ内のコメントはクスリとできないが、今回もクスリともできないタイプのコメント.いわゆる近年のTwitter等で定型文を使用することであまりにも簡素でつまらない文章をデコるかのような文体を生成するために自分でも使っている.小手先なテクニックだと考えてます.))
この投稿の趣旨は特にない.ただふと日々思うこと、疑問なことを適当に吐き出したい.自分の中で何一つ整理ついていないものをここでとりあえず吐き出してすっきりしたい…
吉本興業とかは既に様々なノウハウがあったりするのだろうか。この笑いはこの系列で何年から何年の間に流行したものとかってあるのかな。風刺の類の笑いは時代背景から知らないといけないものもあるだろうし、どういった系列化とかを行えるのか気になる。
何一つ科学的統計にも論理的な根拠に基づかずに思うがままに書いてます.
結局吐き出しましたが、纏まりませんでした!
定番な笑い
笑いと言っても定番な笑いは通常の会話から漫才のやり取りの中まで、やはり必ず一つは含まれると思う.たぶんどこかで見たことあるようなネタ.テレビかもしれないし、Twitterかもしれないし、昔からよく聞く落語だったり様々な場面で使い古されたネタというのは存在する.おそらく万人にわかりやすく伝わる内容なので、もっともデータが豊富で解析しやすくまた長く親しまれるネタは一時的な時代背景によらなくなりどちらかというともっと長く文化に根付いたものが主に出てくるのではないかと想像する。
定番と私個人が思うところで言えば、例えば漫才でいう幽霊関係の笑いのネタ.よく見かけるネタは、恐怖の正体が幽霊ではなくて何か日常を怪談話のように話すことが多い.これはちょっとしたら恐怖から解放された時の安堵に笑いが生じることを利用したちょっとずるい笑いだと思っている.人間の安堵では笑みが溢れるのでそれを面白いと錯覚するのだろうか?そういった類だと思っている.
内容ではなくおそらく笑いの形式で言えば、繰り返すことで面白さを創出する形態があると思う。諸刃の剣なのは多用しすぎか内容によってはかなり印象が悪くなってしまう。人間しつこさに面白さを感じるレベルと不快感を感じるレベルが非常に近いのではないかと思っていて、だからこそ万人に受けるしつこさ繰り返しネタというのは絶妙なセンスが必要なのではないかと想像する。
定番ネタを披露することは比較的広く受けやすいがそれが既に広まりすぎててもまた受けない。幸い聞き手が聞いたことあると思うのは表現まで一致したときに限られるので、一段階抽象化さえできればあとは別のトピックに具体化し直せば良い。簡単ではないが、方針はそれでいいはず。
さて何が定番ネタの抽象化されたもので挙げられるのだろう。抽象化(分類分けという意味で以下使ってる)のレベルはどのくらい分けられるのだろう。例えば先の恐怖から漏れる笑いや早口からの解放の笑いはいわば安堵を利用した笑いとカテゴライズできる?おそらくこれはかなりの抽象化だと思う。そしたらそれと同等な他のカテゴライズはなんだろう。例えば初出のときの「ヤホー(Yahoo)」とかの言い間違いのネタ(初出以外は恐らく繰り返しまたはしつこさからくる笑い)とかは、何が最も根源的な抽象化になるのか。間違えたのが面白いのか間違い方が面白いのか。私の個人的な想像では、癒やしから生ずる笑いだと思っている。なぜおっさんのヤホーで癒やされるのかと言われそうだが、おそらくこのネタは小学生や中学生が言っても笑う。オイオイって読んでしまう店の話と同じだ。そしたらポイントは発言者である人物像というのを分離して考えられる。ヤホーの間違い方は現実的だ。これがわざとらしいかったりなぜそう読むんだと一瞬でも思われてしまうと興ざめしてしまう。この間違い方は素直な間違い方なのだと思う。素直に間違えたもので笑ってしまうのは純粋さに対して微笑んでいるのに近いのではないかと。それはつまり癒やしからくる笑いとしてよいのではないかと思う。これは恐怖や早口からくるものと比べてもまた違うものだ。
このようなカテゴライズを繰り返していけば人間の説明のつかない欲求のところ(安堵や癒し)までカテゴリ分けができるはずだと思う。上記の中では、癒やしからの笑いというのと少し具体化した素朴な間違いからの笑いというのが抽出できた。それぞれのレベルから一つずつ具体化していけば新しいネタを作れるはず.(理論上). 定番ネタは比較的理解しやすくそれはまた抽象化しやすいものになっていると思う。
話が逸れるが、一つ定番な笑いを狙ったコンテンツに替え歌がある.しかしこの替え歌で奇妙なのが近年どうもハゲネタやニートネタといったものが多い.替え歌というのはそもそも、公式な企業が行うのは版権周りが厄介だからかあまり見かけない。逆に替え歌がアマチュアがネットで公表することが多いと言う感触。それ故品質が低いのかどうも自虐的な文化が多分に含まれている.確かに替え歌でウケを狙うには一人でボケるしかないが、その制約のせいかはわからないが、先にあげたような安直なネタが多い気がする.ネットでヒットし広く出回る替え歌は、ハゲまたはニートをメインにしてないことが多く、秀逸な言葉選びによって元歌詞からの韻のハミング距離が小さいままで歌詞の意味を全く別の新しい意味に写像しているものが多いと個人的に思っている。実際、評価するコメントも歌詞がうまい、秀逸であることを評価するものが多く見受けられる(要出典).つまり、替え歌の一つの評価軸に元歌詞と替え歌後の歌詞のハミング距離の最小化と変換前後のコンテキストの乖離距離の最大化を同時にうまくこなせているものなのではないかと思う。もし上記が正しいならモデル化ができたことになるので替え歌の自動生成ができるかもしれない。
Twitterやネットに現れるネタ
これは一番面白い研究になるはずと私は考えている.時代背景をよく反映し、直近の最新の笑いがそこにあるし、新鮮.リツイートやファボの多さからどういったものが流行っているかがわかりやすい.
こんなスピーディにネタに制限がない状態で自由な発想のもと、140文字で人を笑わせる.滑ったらリツイートされないだけで、非難もそう多くはないため、ためらわずいくらでも投稿できる.ひたすら練るに練って作り上げた漫才やコントとは訳が違う.
みんなが様々な工夫を暮らしてウケるネタを考えリツイートを狙っている.だからこそ豊富なネタがすでにネットには出揃っている.データも十分となる.
一つ特徴的なのが、その形式がいわゆる大喜利形式が頻繁に見受けられるということ.誰かがお題を出してスタートというのはほぼ稀で、自然発生的に開始する.
大喜利の場合は、みんな形式は同じでコンテキスト勝負になるため(若干替え歌に似る?)、ネタの間のより比較しやすかったりするのではないだろうか.
常にみんな新しい笑いのネタを求めて日常に目を向けて、面白い表現で笑いをとるか、本当に面白いものを見つけ出すか、工夫は様々.自己承認の欲求を満たすために創意工夫が行われている状態こそ面白いのかもしれない.昔の平安時代などの和歌等を詠むのもこんな感じだったのだろうか.
自分でも少しクスッとなってしまうのが疑問なネタをここで一つだけ.(面白いと思わない人がいるのは重々承知です.)
「そこになかったらないですね」
このネタは2017~2018年に一時的に流行ったネタの一つ.なぜただ100円均一ダ◯ソーで聞いたことあるようなこんなフレーズを使うと面白く感じるのだろう.聞いたことあるフレーズを”大げさに”言うことで笑いをとる手法は以前からよく使われている気がするが、これはちょっとジャンルが違う.大方このセリフは単体では使われず、前に一つ事実をおいて、それを受けて発する言葉となっている.その前の事実は多くの場合、そこそこにネガティブなトピックで、後続する文章でそれを一蹴するがごとく、冷徹にも感じる無関係な店員が「そこになかったらないですね」と情報量皆無なコメントをしている.このギャップに自分は笑っているのだろうか?ギャップの笑いはあっけなさからくる身構えていたのに何もこない安堵の解放なのだろうか?ここらへんは自分の中でも解が出せていない…
もう一つネタとしてあるのは、「矛盾塊」.これは元ネタは2chからきている模様.(今の5ch)
矛盾塊は通常一つの概念を中心に矛盾した様々な情報が付与されている画像(AA)のこと.
これも自身でどうして笑ってしまうのか不明.他の人のコメントを見るに全く面白さがわからない人もいる模様.本当に言葉通り、矛盾の塊なのだが、勢いと自身を感じさせながらことごとく間違えているというが一つ特徴かもしれない.見るからに自身満々でありながらことごとく矛盾した画像というのは一種の素直な間違いからくる癒しの笑とも捉えられるかもしれない.とは思うが、完全には自身の中でも納得できていない.
ニコ動のコメント文化
もう一つ2010年ごろに繁栄したニコ動.サービスの特質上、コメント、タグ、市場、動画でしかボケ、ツッコミができないため、ここの笑いは独特なものだったと思う.
ニコ動の最盛期においては、様々なネタがあったが、最初から最後まで通して、通常の秀逸な言葉表現によるネタは多い.これらのネタはタグやコメントで表現されることが多い.他のネタは空耳、コンテキストの読み違い、等のネタだったような気がするが、強く思い出せるものがそういえばない… 近年はあまり見られず、コメントの多くはボケよりツッコミまたは享受側に回っている印象を受ける.
ニコ動において後期にみられるようになったコメント文化(?)として、「大赤文字羅列」による笑いが増えたことがあげられると思う.その場面の比喩をいわば大喜利のようにかきなぐる.落ち着いていたコメントがいきなり赤文字で覆い尽くされるようなものがある.昔からニコ動のコメント機能を使って大文字を使って大々的にコメントを書き込むことはあったが、この乱射するかのような大赤文字によるコメントの投稿は新しい文化と少なくとも当時は認識していた.あるカテゴリからやってきたものではあるがここでは明言しない.この関連で面白さを感じるとしたら、一つは「その怒涛な勢いへのメタ的な笑い」があると思う.人はどうしてかわからないが、尋常じゃないほど何かを執着して行っているものを面白い(または怖い)と思う.何かをとことん集めているコレクターなども面白いと思う. もう一つは「その場を一番うまく表現したワード」によるもの.例えば何ら本来関係ない概念でも、あぁそういう比喩かと思ったり、そのワードのうまくいっているポイントに気づけた時に自然と笑ってしまうのだ.「うまい!」って笑ったりするのと同じ力学だと邪推している.が、上にも述べたようにやはりなぜ「うまい!」というものになぜ笑いが出るのかわからない…
余談であり一般的に言われていることではあるが、個人的な感触として、まだニコ動が若い頃はコメントにおいて笑いの受けを狙う人とそれらを享受する人が双方いたような気がしているが、最近は減っている気がしている(老害.そして私は享受する方).私個人の変化の可能性も否めないが、実際コメントで最近は笑うことはない気がしている.コメントの定型化は最近はアニメOpのコメントくらいしか見受けられない.(と思っている、最近ほとんどニコ動を見ていないバイアス故かもしれない)もうコメントで何かを生み出すのは終わったのだろうか
上記含めて、最近のニコ動が衰退している背景がどうしてなのかも数字こみで調べたいものですね.
他もっと雑多に
漫才を見てても、一般的なネタか特色の出ているネタかはわかりやすい.このネタはこの漫才師でよく使われるものというのも気づきやすい.そう感じられているということは、やはりやみくもに笑っているだけではなく、笑っている時にその理由なぜ自分が笑っているかをなんとなく理解しているだろうなと思う.
お笑いのネタで同様のをやった場合にシラけてしまう場合とそうでない場合には何の違いがあるかという方面からも研究ができるのではないかと思う.タイミング、間、人、流れ、全てを満たしていないとやはりネタは面白くならないのだろうか.人がどういうことに注視しながら笑うのかはやはり面白いポイントなはず.
笑い学ってあるんですね
どうやら学会もあるみたいでjstageにもwaraiとして一つページが用意されている.
https://www.jstage.jst.go.jp/browse/warai/list/-char/ja
そりゃそうだろうな.あってもおかしいなんてことはない. 人間の主要な表情の一つなのだから.
学会一度参加してみたいなと思うが、ほとんど見当たりません…
http://www.nwgk.jp/nii.html
これぐらいですかね?
ざっと調べてみた感じ、笑いの原因や笑の効果効用に関するものが多く見受けられますが、個人的にはもっと表面的でよいので笑いの研究があると嬉しいな.
もっと他に
ここでは触れなかったが下ネタもなぜ笑ってしまうのかというのは気になる.どんなにくだらない馬鹿馬鹿しいものでも下ネタの際にはその閾値が下がっている人が見受けられる.ここらへんは是非ともアカデミックな人たちにまとめて欲しい分野だ.